楠本涼 / Ryo Kusumoto

貌 -bow-.(2013-2016)

貌 -bow-

2013-2016 JPN

私は物理的な存在(風貌)の奥に尊厳や恐れを感じることに興味がある。本作品は、古樹という、計り知れない時間そこから世界を見てきた生命にたいして感じる”畏怖の念”を視覚化したものである。

日本には、この国最古の歴史書である古事記(八世紀初頭)以前から、樹木信仰が存在したとされる。これは、この国の民が、自身のルーツやアイデンティティを確立する際に必要な要素だったものと私は考える。

自分たちが大いなる自然から生まれ、それらを文明として制御することを放棄し、感謝と恐れ、敬いを抱くに足る距離感を保つことで、生活が成り立ったからだ。自然災害を自分たちへの戒めと捉えたり、自身の罪を太陽に顔向けできない行為と捉えたり、その土地を守る何かの存在を祀り安心して生活したのだ。このはかり知れない存在への信仰に近い感覚は、未知のものに対する畏怖という形で、今も日本人の精神に存在する。

しかし、合理主義が日本に浸透するにつれ、その精神性は薄れつつあるのも事実だ。その土地の神木を建材利用のために意図的に枯らす事件が発生したり、豊作を祈願して行ってきた祭事を、家が汚れるからとボイコットする動きもある。神木は、パワースポットというポップカルチャーに変化し、観光産業には貢献したが落書きやゴミの放置といった問題を生みだした。

食生活から信仰まで、様々なことが時代とともに変化するのは世の常だ。これは短絡的な自然保護を訴える作品ではない。自然との距離感を、人と人の関わりを、恐れながらも大切に敬うことで自身の安心に変えてきた、いわば独特の精神性が、世界中の諸問題に向き合う際のヒントになればと思う。