楠本涼 / Ryo Kusumoto

ever since.(2011-2012)

ever since

2011-2012 JPN

岩手県陸前高田市のある集落。 東日本大震災から約20日目からの2年間の変遷を追いかけた。 震災直後から、各避難所では、電気、ガス、水道は自治体からの物資供給と持ち寄りに依存しており、 一日の仕事を終えた後も、夜警のため焚火を囲んだ。 行方不明の家族を思い、失った職や家屋を思い、我が子との未来を思う夜。

遠い暗闇にうっすらと浮かぶ倒壊した家屋、鉄骨。 海上には、自衛隊の船光。 再度津波がくることを考えて愛する土地を離れることもある。 「海に生かされ、海にやられた。やるせないな。」と。主産業であるカキの養殖には最低3年が必要で、その間に必要となる設備/維持等の費用 は数千万円にのぼる。単年で収穫できるワカメや、定置網漁においても、漁船を失った今、 やはり長期的にみて、再建には多大な労力が必要となった。

支援を求める側のニーズは、各地域や時期によって大きく異なった。「絆」や「復興」の名の下、東日本という大きなカテゴリーで判断するには無理があった。仮設住宅の入居を終え、直接的に生命に関わる問題から、QOLに関わる問題へと視点がシフトし、メディアでの報道はキャンペーンの終幕を思わせる落ち着きを帯びて来ていた。あらゆる善なる行為や思いの届くべき宛先が、家屋の有無や被害の大小、喪失したものの多さなどから判別できない困難があることに発信側が気づくようになった。この複雑さが、些細な接し方すら分からなくさせてしまうようだった。だからこそ、包括的なくくりの復興の様子ではなく、一つの小さな地域の生活を置い続けることに意味があると考えていた。

東北の地での物事を取材しながら、私はむしろ自分の命と生活のことを考えさせられた。実際、当時、日本中の人々にとって、これからの人生という暗闇に対して、完全な主体性を取り戻した時間が存在したのだ。

スピードと効率を求める日常が復権し、再び満員電車に揺られる生活が訪れる日が来た時こそ、私たちは思い出すべきだ。行方不明者数、倒壊件数、被害額という数字ではなく、ひとつひとつの生活が確実にそこにあって、本当はこれからもずっと、生と死と生活に向き合い続けるということを。

この地で生きる Posted on 2012/03/06

2011年8月、岩手県陸前高田市の宿で、パソコンに向かいその日取材した内容を整理していると、ハーモニカらしき音が遠くで流れるのが聞こえた。ロビーで誰かが演奏しているのだろう。その曲は・・・

この地で生きる第2集 Posted on 2012/06/04

「善意の押しつけはいらない」 それは僕が東北で伺った最も印象深い言葉だった。2011年4月9日、陸前高田市気仙町の長部コミュニティセンターからの案内で、理髪ボランティアが避難所を・・・

三陸の味 Posted on 2012/04/17

太陽光と、河川から流れてくる豊かな栄養分に恵まれた環境。存分にその恩恵を受けながら、何年もの月日を経て素晴らしく大粒で美味しい牡蠣が出来る。「んめぇだろ?」 日に焼けた男らしい顔つきが・・・